Wednesday, January 20, 2016

筋肉とポエムの関係について

詩とは、Wikipediaによると、
言語の表面的な意味(だけ)ではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式」
であるそうだ。日本では、「詩は思いや記憶を言葉にしたものを意味し」たそうで、また詩を英語で言うとポエム。詩的であることをポエティックである、という(と思う)。

筋肉は、ポエティックであるかどうかは、実際難しい話だと思う。「筋肉」という言葉を美学的・喚起的な意味で捉え、さらに技術を持って、思いや記憶を表現すれば「筋肉」という言葉によってその表面的な意味だけではなく、更に別の何かを表現することは可能といえる。

だけど、脈絡無く僕が「筋肉」と一言発したとして、その一言の中に、実在する概念としての筋肉以上の意味を見出す人はとても少ないと思われる。僕が「筋肉」といったらそれは筋肉のことで、それは生きている動物が実際に持っている、エネルギーを消費して伸縮する機能を持つ生体組織のことを大抵は思うだろう。

だから、実際に存在する筋肉を筋肉と呼ぶことについてはそこにポエティックな要素は無いといって良い。筋肉を目にして、「これは筋肉である」、といったって何も美学的・喚起的な性質はないし、(目の前にあるのだから)何の記憶を言葉にしていないし、思いを言葉にしたわけでもない。

3 comments:

  1. 詩を勉強する者としてとても勉強になりました!どうもありがとう!

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  2. Huh I know you are being sarcastic. どういたしまして。

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